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向井康二と西村拓哉を中心に、幅広いジャニヲタやってます

念願だった、大好きな人の10000字インタビューを読みました。

向井康二くんの10000字インタビューを読みました。
はあああああ、泣いた、疲れた。

今回はインタビューの内容を踏まえて、私が考えていたこと、思っていたことと共に書いておこうかなと思う。
ネタバレあるので読んでない方はUターンしてくださいね。

 

 

読んで1番に思ったことは、やっぱり
「ずっとステージに立ち続けてくれて、ありがとう。」
これに尽きるなと思う。

それなりに康二くんを見てきたと思う。
それなりに思い続けてきたと思う。
やっぱりあの頃思っていたこといっしょだったな、とか
あの頃そんなことしてたのか、とか同じ時間を過ごしてきて
本当に良かったと思う。
康二くんについてきて間違ってなかった。

 

 

 

まずは、入所した経緯。

タイでの滝沢くんのイベントについてきていたジャニーさんが、ムエタイ道場に足を運び、たまたまかわいい康二くんの写真を見つけ、大阪での滝沢くんのライブに呼んだ。呼ばれた康二くんはなにもわからないまま、ジャニーさんのお膝の上に座ってたって

ジャニーさんと滝沢くんの縁から始まった康二くんのジャニーズ人生。
エリート街道を走ってきた人やなあって思うのに、
いつも康二くんはどこに行っても、自慢もしないんだよなあ。

そして何よりKinKanの話を楽しみにしてた。
あの子のことは話さなかったけれど、紫耀との話、何よりセカムブの話をしてくれたのが嬉しかった。

「「2nd Movement」って曲の盛り上がりがすごくて。松竹座が割れるんじゃないかってくらいだった。」

KinKanにとってセカムブは大事な大事な曲の1つで。いつか目の前で聞くことが夢だった。私はタイミング悪く生で見ることはできず、テレビでは見ていたと思う。
KinKan=2nd Movement、というような関係で、KinKanがなくなってしまった後も、関西Jrでよく歌われるようになったきっかけでもあると感じている。そこにKinKanがあった痕跡を見出せるようにはなってきた。

 

そして、まいジャニのスタートの気持ち。
ジャニーさんに会いに行かなかったこと。
ジャニーさんと仲良くしていると、他のJrにケンカを売られたこと。

…まじで康二くんと紫耀に、KinKanに、そんなこと言った奴出てこいよ!!!何してくれてんねん!!…なんて思うけどそれもタイミングだと言える康二くんが強いや。ポポロのロングインタビューでは会いに行かなかった理由をうやむやにしてたのに、ここで言ってくれてなんだかすっきりした気がする。
あのとき変わらずに会いに行ってたら、もしかしたら…なんて思うけれど、それも康二くんのせいじゃないやんって思えたのが心が軽くなった気がする。

 

ジャニーズWESTのデビューのとき、自分は入れないのかとジャニーさんに聞いてみたこと。
その後の関西Jrを引っ張る立場になったこと。

何より嬉しかったのは、あの頃言われていた「関西Jrが焼け野原」だという言葉を使ってしまったことに謝っていたこと。

その言葉を使っていた主な人物は康二くんではなくて、他のメンバーだけど、何回か使ってしまったことに悪かったと思って、伝えてくれたことが嬉しくて。
だって応援している私は焼け野原なんてこと思ったこともないし、追いかけていて楽しかったし、みんなかっこよかったし、康二くんが言うようにそこにはキラキラした花が咲いていたし愛もあったもん。そんなこと言ってほしくなくってモヤモヤしていたし、どっかのしょうもないヲタクが言い出した言葉をわざわざ拾ってその言葉を広めたメンバーのことは本当に許せないし、今でも康二くんと同じように謝ってほしいと思っているよ。

 

キンプリのデビュー。
なにわ男子の結成。

キンプリのデビューはスッと受け入れたものの、なにわ男子は受け入れられなかったと言う。これは私も同じだった。

でも、康二くんはめげずにまたジャニーさんに聞きに行った。あの頃、毎日のように電話の相手をしてくれたジャニーさん。グループを考えて、実際に会ってプレゼンもしてみた。それでも、無情なことに裏ではAぇとLilの結成が動いていた。叶わなかった。

そんなときに目の前に現れた、滝沢くん。

きっと康二くんのジャニーさんに対する動きが伝わって、滝沢くんが迎えに来たのかなあなんてわたしは思ってる。

あの時、康二くんが東京でよく目撃されていることが私の耳にも入っていた。嫌な予感がしていた。康二くんのかつての相方は辞める半年前によく東京で遭遇情報が上がっていて、そのときに上京する準備を進めていたという過去を知っているから。あのときの記憶を思い出して重ねてしまって、康二くんもそうかもしれない、だなんて思っていた。全然違うかった、康二くんは必死に動いてたんや。そんなこと考えてしまってほんまにごめん。

 

そして、関西Jrとして最後のステージ。

SnowManへの加入

先に龍太くんに伝え、大吾と流星にも伝えていた。その事実を知れただけでも嬉しかった。


康二くんはSnowManに加入が発表された後のJr大賞にも触れてくれた。
「この年のMYOJOのJr大賞、俺2位で。救われた気がしました。うれしかったな」

ほんまにこのときは必死やった。どうにかして康二くんにファンがいることを伝えたくて、自信を持ってほしくて。ほんまに頑張ったもん。
この時に協力してくれた他界隈オタクの友人が2位になったことも、その後デビューが決まったことも喜んでくれたの。「あのときに頑張ったのが実ったんだね。」って。
私もあのとき、動いていないと何かが切れてしまいそうで、終わってしまいそうで怖かっただけやねん。でもそれが、康二くんのためになったということが嬉しかったな。

 

5月のIsLAND FestivalのMCでしゃべれなくて、見学に来ていた流星に「関西のセンターに立ってたやつがおもんな!!」と言われたこと。

このとき、たまアリにいた私はしゃべれない康二くんを目の当たりにしていた。なにわ男子に気を遣ったのか、本調子じゃなくて。
それでも舘様が助けてくれたの。

* Ri__chan * on Twitter: "昼のなにわMCでな、すのが出てきたとき康二くんがいちばん下手側にいて。いちばん下手にいるのにもっと外側に後ずさりしようとしたの。そしたら舘様がそっと康二くんの腰に手を当てて引き寄せてくれてね。そこから話に入っていけて。あー、康二くん支えられてんなーって嬉しくなったな。"

これが嬉しかった。素敵なメンバーがおるんやなって思った。

 

そして、デビュー発表のこと。龍太くんにだけは先に伝えたこと。

どれだけ仲良くしていても、そんな日はいつか来る。そして、康二くんにとって龍太くんはずっとずっと偉大な先輩やった。いっしょに関西を引っ張ってきた責任として、康二くんは伝えたんだろうなって勝手に思ってる。

家族も喜んでくれたことは、お兄ちゃんの言葉がすべてやと思うわ。
「お前がデビューできへんとかおかしいことやから。事務所、センスええわ。」って。

 

メンバーへ伝えたいこと。
関西Jrとそのファンに伝えたいこと。

個人の夢、グループでの夢。

「ファンに会える場所が作れればどこだってかまわない。この状況が落ち着いたら、まずはファンに会える回数をとにかく増やしたい。だって、まだ『D.D.』の握手会やハイタッチ会もできてないから。ファンだけじゃない、俺だってファンの手をニギニギしたいよ!」
嬉しいなあ、ハイタッチ会のこと忘れてないの。もう忘れてるかと思ってた。

例えもしハイタッチ会が何年後になったとしても、康二くんに伝えることは決めてんねん、" デビュー、おめでとう。"って言うって。

 

そして最後に康二くんはこんな言葉で締めくくる。

「いろんなことがあったし、悔しくて泣いたこともあった。でも、俺はひとつも後悔してない。~大阪からついてきてくれたファン、ありがとう。俺だけじゃない、みんなも不安だったよね。~一日も早く会える日が来ることをファンと同じように、それ以上に俺もSnowManも願ってるよ。」

 

んんん~、嬉しいなあ。
いつもいつも、康二くんはファンに向けて「ありがとう。」「会いたいな。」って言ってくれる。
それは曲を作ったときに「明日も一緒に歩こうね」と歌ってくれたことも、関西Jrを離れる時に「ファンのみなさんはどこにいても応援してくれていると思うので」と信じてくれたことも、先日のデビューコンサートも同じだった。毎回の挨拶で「ファンのみんなの顔が見れなくて、寂しい。会いたいな。」って言ってくれる。寂しいのは私たちだけじゃないんだなって思える。こんなアイドルそうそういないと思う。

 

先日、友人とも話していたけれど、
夢にまで見た康二くんの10000字インタビューを読むことができたんだよな、って。
何を今さらって思うかもしれないけれど、それだけデビューは遠いものだと思っていた。でも、こうしてデビューをお祝いできて、10000字インタビューを読むことができたんだって。すごいよね。

ここ最近の康二くんはファンに会えなくて、目移りされるかもなんて思ってるみたい。

…そんなわけないやろ、あほ。
こんなにファンのこと考えてくれる康二くんから離れるわけないやん。
ずっとずっと大好きやで。また近いうちに会おうね。